李禹煥、同じ作品を違う場所で観ること

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七十二候は水沢腹堅(さわみずこおりつめる)、暦の正しさを証明せんとばかりに、強烈な寒波に飲み込まれていますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

普段雪と無縁の地に住んでいるので、ほぼ一面薄っすらと銀世界、というのは珍しく、心躍る光景。

さて先日、李禹煥展(リ・ウファン)を見に行ってきました。

「あれ、前も見に行ってなかった?」と思った方がいれば、それは私のnoteへの愛の深さ、あるいは記憶力の良さの証明に他ならないですが、念のために前回の記事を貼っておきましょう。

そう、前回は国立新美術館で。
今回は、兵庫県立美術館です。

展示場所が変われば、見え方・感じ方は変わる。
展示スペースに行くまでの過程は、兵庫県立美術館の無機質な、角ばった中に広がる空間が、李さんの雰囲気によく合っていると思った。

画像

でも、展示スペース自体は、国立新美術館の方が広々としていて、余白、何もない空間から感じるものに重きを置く、李さんのスタイルによく合っていると思った。(ちなみに、平日は撮影可、土日は不可。その差を設ける必要性を感じないけれど。)

いずれにせよ、どちらが良い悪いの話ではない。

李さんは、素材に手を加えないで、そのままの姿を作品にしている。
これは、デュシャンが便器をそのまま展示することで、アートにしたのを思い出す。

ウォーホルも、身近にあるものをアートにしたけれど、彼はそのまま使うのではなく、模倣して量産した。
(それが、デュシャンとの違いだって、ウォーホル展で仕入れた情報)
ブリオの箱をそのまま使って並べるのではなく、模倣品を作って展示したり、スープ缶を描いたり。

そのままの姿を作品にする。
李さんは、鉄板や石をそのまま使っているけれど、それだけであの空気をまとわせられるのは、すごいと思う。
絶妙な配置。
また、同じ素材でも置き方で感じ方が変わる。
例えば、木材3本の作品は、壁に立てかけているもの、立てているもの、寝かせているもの、それぞれが違う雰囲気を出している。

そして、一つの作品の向こうに、別の作品、あるいは別の素材が見えることで、「素材」という一見単調な構造に、味を加えているように思った。

例えば、滑り落ちたかのような鉄板の向こうに見える、白い大きなキャンパス。

このキャンパスの作品は、何も書かれていない大きな白いキャンパス3枚で構成されていたけれど、李さんが絵を描いたものもある。

ひたすらに点が描かれたような作品。
これは、一度筆に付けたインクが途絶えるまで、点を描き続け、消えたらまたインクを付けて、を繰り返しているそう。
その描き方は、書の書き方の一つに通じるものがある。

インクが徐々に薄れていくとはいえ、キャンパス一面を埋め尽くす点、あるいは線。
それが、ほとんどが余白に変わる。
描いた所よりも、描かない所に李さんは興味があるそうで。
そんな余白が、絵画の始まりだそう。

点や線は、1~3つ。
だから、ぱっと見はとてもシンプル。なのだけど、よく見てみると、その1つの点や線の中に、複雑なグラデーションが描かれている。
さらに、床に反射して絵が写っているのを見て、その数の少なさの補填を感じる。

線、といえば面白い作品があった。
丸い石から真っ直ぐの鉄の棒が突き出ていて、壁に立て掛けられており、その壁には弧が描かれている。まるで、その棒を横に動かして描いたように。
その弧は、木炭で描かれていて、途切れ途切れに薄くなっている。
一方で、鉄の棒の影が床と壁に映っており、それは直線ではっきりとしている。影の方が実態はないものなのに、くっきりとしていて、その対比が面白い。

李さんの作品は、ものすごく日常に近いと思う。
だから、彼の作品世界を知ることで、自分の世界の見方に新たな視点を加えられるのではないかな。

見ていてとても落ち着く展覧会。
兵庫県立美術館自体も、すごく素敵な空間なので、みなさま是非に。

ごきげんよう。

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この記事を書いた人

アラサー女子\(^^)/ マイペース&自由に生きてます。物欲ゼロ、代わりに旅欲高め。渡航32ヶ国、まだまだこれから!英語&スペイン語を話せます。Instagramで韓国グルメ発信中☞ @arisa_travelife

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